継承日本語の研究

継承語に関する研究について紹介しています。日本語に特化した研究以外にも、他の言語の研究なども紹介し、総合的に継承語の維持について考えています。他にも、継承語の研究に関する入門書なども紹介しています。

  • 日本にいる日本語指導が必要な子女

    日本にいる日本語指導が必要な子女
    文部科学省が行なっている「日本語指導が必要な児童生徒の受入状況等に関する調査」の2025年5月1日時点の調査結果が発表され、公立学校で、日本語の指導が必要な児童生徒(日本語がわからないため、授業の前に日本語に関する指導が必要とされる児童生徒)の数が84,759人になったとのことです。前年より22%の大きな増加があったので、メディアでも広く取り上げられました。 この「日本語指導が必要な児童生徒」ですが、最近は、海外から日本に働きに来る人が増えていて、それに関連して小学校などで日本語指導が必要な子どもの数が増えているというイメージがありますが、2000年までは、どちらかというと海外に駐在などで滞在した児童生徒が現地校に通っていたため、日本語が継承語となり、日本帰国後に日本の学校での指導についていけないというパターンの方が多くありました。当時も今も同じだと思うのですが、大きなクラスを教えている先生からすると、日本語がわからずついていけない子どもが一人でもクラスにいるとクラス運営が困難になるので、日本語指導が必要な児童生徒はクラスの「問題」であるという意識が日本の小学校には強くあります。また、いわゆるバイリンガルの子どもにどうやって日本語を教えるのかというトレーニングが、日本の小学校の教員養成課程に存在しないので、日本語を母語とする子どもたちに日本語を教える教え方で「日本語指導が必要な児童生徒」に日本語指導をするため、低学年向けの日本語を教える形がよく取られます。「日本語指導が必要な児童生徒」にしては、自分のよりも低学年の教材を教えさせられているという意識が高まり、自分の言語能力に対して劣等感を感じることが多いです。 アメリカでは、1965年にHart-Cellar Actという移民法の改正があった後、移民が急増し、公立小学校で英語の指導が必要な児童生徒の数が急増しました。当時は、(今の日本の日本語教育と同じような) 英語がわからない児童生徒にも徹底的に英語で授業を行うsubmersionという教育方法だったのですが、1974年にサンフランシスコの中国系移民の保護者が英語だけの指導方法について裁判を起こし、最高裁でLau v. Nicholasという判決が下されました。おおまかな内容としては、教育の平等性に関して、画一的な教育方法を全員に行うことは「教育の平等性」を保っているとは言えないので、英語指導が必要な児童生徒には、その授業に合った特別な指導方法を行わなければいけないという内容です。この裁判が、今のアメリカのESL教育やバイリンガル教育の根幹になりました。 Lau v. Nicholasに関しては、バイリンガル教育ではなくESL教育に重点が置かれ、移民の子どもの母語から英語への移行を促進したなどと批判的な意見も多いですが、この判決のために、少なくとも、上記のような母語にも日本語にも劣等感を感じさせるような教育(submersion的な言語指導)はアメリカでは行われませんでした。日本の現状で参考になることは多いのではないでしょうか。 Lau v. Nicholasの判決文の一部を以下にコピーしています。 The San Francisco, California, school system was ...
  • 海外の日本語教育の現状 2024年度日本語教育機関調査

    海外の日本語教育の現状 2024年度日本語教育機関調査
    国際交流基金が3年ごとに全世界の日本語教育機関や学習者を調査する「海外の日本語教育の現状」(https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/result/)の2024年の集計結果が発表されました。 2021年の集計結果と比べると、全世界の日本語学習はコロナ禍以降、順調に伸び、日本語教育機関数は5.9%増、学習者数は8.5%の増加を見せたそうです。 全世界では日本語学習の人気が続いているのですが、北米では2010年ごろから始まった減少傾向に歯止めがかからず、2021年の結果と比べると、日本語教育機関数は5.5%減、学習者数は15.2%の減少がみられました。15%の学習者減少というのは、結構衝撃的な数です。北米で見られる外国語離れの中で、かなりがんばってきた日本語が、今になって学習者離れの波に飲まれたという感じがあります。 The Japan Foundation (2026). 海外の日本語教育の現状 2024年度日本語教育機関調査より (Survey Report on Japanese-Language Education Abroad 2021). Tokyo, Japan: ...
  • JOESの「海外に住む子どもたちのための わかりやすい国語」プロジェクト (2026年アップデート)

    JOESの「海外に住む子どもたちのための わかりやすい国語」プロジェクト (2026年アップデート)
    ここでも詳しく紹介しましたが、在外で日本語を学習する子女のための出国前、帰国後のサポートや、海外での教科書の配布などを行なっている「海外子女教育振興財団 (JOES)」が、「海外に住む子どもたちのためのわかりやすい国語」という海外で日本語を継承語として学習する子女の支援を行うプロジェクトを2024年から開始しています。 2025年には、「海外に住む子どもたちのためのわかりやすい国語・小2用」および「漢字を楽しく学ぼう小1・2年用」という教材を開発、配布したのですが、今年は、以下のような教材の開発、配布を行うそうです。 「わかりやすい国語—『学習活動計画案とワークシート 小3・4年上巻」 「漢字を楽しく学ぼう 小3・4年版」 「海外子女教育振興財団 (JOES)」の「わかりやすい国語」プロジェクトに関しては、以下のビデオで詳しく紹介されています。JOESは、以前は、いわゆる「駐在組」のみへの支援をしてきたのですが、2022年の「在外教育施設における教育の振興に関する法律」の制定などもあり、「永住組」の継承語支援のために「わかりやすい日本語」プロジェクトが開始されました。2025年には、1-2年生向けの「わかりやすい国語」カリキュラムが作成、公開され、今年は、3-4年生向けのものが公開されているようです。 https://www.youtube.com/watch?v=fwkTQl7SaK4
  • ACTFL OPIやAPなどの言語テストの比較表

    ACTFL OPIやAPなどの言語テストの比較表
    本業の方で、ACTFL OPIなどのアメリカの言語テストを調査する仕事があり、それぞれのテストの難しさを比べる表を作成しました。言語テストには、会話だけを評価するもの(ACTFL OPIなど)や、readingやgrammarなどの受動的な能力だけを評価するテスト(CLEPなど)があり、なかなか二つのテストを比べるのは難しいのですが、テストの受験者の視点からすると、大体自分のスキルがどの程度なのか、どのレベルのテストを受ければいいのかなどの指標が知りたいところなので、こういった比較表が必要なのだと思います。 この表を作った経緯は、アメリカの高等教育機関では、生涯教育によるスキルを評価し、単位化して大学での学位取得の促進をしようという動きが強くなってきています。Credit for Prior Learningというような名目のプログラムが、あちこちの大学でここ数年でできてきていて、背景としては、アメリカの高等教育に対する不信感、学齢期の子供が不足になる2030年以降の大学の生き残り、実地的なスキル重視の教育などの要素が挙げられています。Credit for Prior Learningのコンセプトは昔からあり、一番馴染みの深いところでは、高校で大学の単位を持つクラスであるAPなども、Credit for Prior Leraningの一部です。これまでのAPなどの他に、テストを受験するだけで大学の単位に認めてもらえる可能性があるということで、日本語のクラスをとらなくても十分な日本語能力のある継承日本語話者には良い傾向なのだと思います。 自分の経験上、ある程度日本語ができるという継承日本語話者の人は、だいたいがACTFLのレベルでいうとAdvancedくらいで止まっていることが多いです。Intermediateレベルのような、文章の形成や、質問への返答などは、アクセントもみられず、母語話者と見分けがつかないレベルで言語運用ができるのですが、Advancedになると急に「えーと」とかいうフィラーが増えて、自分の返答ができなくなります。文法や発音には問題がないので、自分では話せていると思うのですが、Advancedレベルで期待されるdiscourseレベルの会話ができていない継承語話者が多いです。後から聞くと、「このトピックは難しかった」とか「こういうことはあまり話さないので難しかった」とかみたいに、トピックが難しいという認識の人が多いのですが、ACTFLの形式ですと、トピックはテスト受講者が提示するものなので、実際はトピックではなく、言語運営上の問題です。例えば、テストの受験者が「料理が好きです」というと、「いつも作る料理を教えてください」という質問とか(Intermediateレベルで、これはできる人が多い)、「料理の手順を買い物から、盛り付けまで順序だって教えてください」(Advanced-Lowレベル)、「寿司は日本料理の中でも海外で人気ですが、カリフォルニアロールのように日本ではないレシピも多くつくられてきました。カリフォルニアロールのように、日本にはないレシピでできた料理は、日本料理だと思いますが?どうしてですか?」(Advanced-Mid to Highレベル)のような質問になります。継承語話者の人は、文章を系統だって組み立てて返答するadvanced-levelの質問は苦手な人が多いです。 今回作成した言語テストの比較表です。左側に、大学の言語クラスとの比較があります。通常は、1年目の言語クラスは6単位、2年目の言語クラスは12単位(1年目+2年目)、3年目の言語クラスは18単位として扱われます。日本語のようなRomance languageではない言語ですと、だいたいACTFLのIntermediate ...
  • 20世紀初期のニューヨークでの日本人学校が未発達だったのはなぜか

    20世紀初期のニューヨークでの日本人学校が未発達だったのはなぜか
    先日、20世紀初めの西海岸と東海岸での継承日本語教育の違いについて触れましたが、今回は、その違いの理由について考えてみました。 ニューヨークと日本の関係は、1853年のペリーの浦賀への来航後に、徳川幕府が1860年に派遣した万延元年遣米使節団(まんえんがんねんけんべいしせつだん)のニューヨーク訪問から正式な交流が始まりました。そして、1876年にオセアニック号に乗ってニューヨークに移住した商人一団を皮切りに、多くの商人や医学者が滞在しました。当時のニューヨーク在住の日本人には、輸入業で大きな財を築いた新井領一郎(Ryoichiro Arai)、森村豊(Toyo Morimura)、医学者では高峰譲吉(Jokichi Takamine)、高見豊彦(Toyohiko Takami)、野口英世(Hideyo Noguchi)などがいます。 西海岸ほどの規模はないものの、ニューヨークにも日系のコミュニティーは形成され、その詳しい内容は、Anraku Publishing(日米週報編集局)が1908年に出版した"Japan in New York"という出版物に紹介されています。ニューヨークの日系コミュニティーは比較的活発だったようで、外交関係者(総領事館)、輸入業商社、医学者などの他にも、日系コミュニティーを支えるビジネスも多くありました。以下に特におもしろいと思ったビジネスとその住所を記載します。 富士写真館 (Fujii ...
  • ニューヨークの日本人学校に関するNew York Timesの記事(1975-1995)

    ニューヨークの日本人学校に関するNew York Timesの記事(1975-1995)
    戦後に開校された「ニューヨーク日本人学校」は、1975年にクイーンズのジャマイカで開校しました。その数年前に、駐在者の子女への教育を行うために、日本クラブで始まった日本語教室が始まりと言われています。当時は、日本が高度成長期で日本に対する興味が高かったせいか、ニューヨークの現地メディアによる「ニューヨーク日本人学校」の記事が多くありました。ニューヨークタイムズ誌で紹介された記事を以下にまとめています。 Peterson, I. (1975, February 18). ...
  • ニューヨークで最初の継承日本語学校: 紐育日本人教會附屬土曜國語學校 (1923)

    ニューヨークで最初の継承日本語学校: 紐育日本人教會附屬土曜國語學校 (1923)
    ニューヨークは、日本人には誰でも聞いたことのある馴染みの深い場所ですが、ニューヨークと日本の関係はおおよそ160年くらいしかありません。ニューヨークにおける日本語教育や日本人学校になると、その歴史はさらに浅くなり、記録上残っている最も古い日本語学校(日本語教室)は、1923年にできた「紐育日本人教會附屬土曜國語學校」です。その日本語教室も第二次世界大戦が始まる頃には閉校し、現在のような日本語学校や土曜日の補習校に繋がる1975年の日本人学校開設までは、ニューヨークにおいて継承語教育は学校という形式では教えられてきませんでした。ですので、ニューヨークの日本語学校の歴史は、戦前の20年と、戦後の50年の、おおよそ70年程度の歴史であるといえます。 ニューヨークへの日本人の移民は、1853年のペリーの浦和への来航後に、徳川幕府が1860年に派遣した万延元年遣米使節団(まんえんがんねんけんべいしせつだん)のニューヨークへの訪問から正式な交流が始まりました。そして、1876年にオセアニック号に乗ってニューヨークに移住した商業者一団を皮切りに、多くの商業者と医学者が滞在しました。1976年のオセアニック号の一団には、その後、ニューヨークで生糸、陶磁器、お茶などの輸出業で大きな財をなす、新井領一郎(Ryoichiro Arai), 森村豊 (Toyo Morimura)なども含まれていました。医学会では、今も活動を続けている日本クラブを設立した医学者の高峰譲吉 (Jokichi Takamine, arrived in 1885)や、高見豊彦 (Toyohiko Takami, arrived in 1891)、野口英世 ...
  • 1980年のアメリカの日本語継承語学校 (from Fishman (1980))

    1980年のアメリカの日本語継承語学校 (from Fishman (1980))
    アメリカの継承語教育の歴史を調べていて、おそらくアメリカの継承語学校の一番古い継承語学校の全米のリサーチであろうと思われるFishman (1964, 1980)を読みました。日本の継承語学校のことについても書かれていたので紹介しています。 Fishman, J. A. & Nahirny, V. C. (1964). The ...
  • 2005年から2023年のニューヨーク市の日本語話者数の変遷

    2005年から2023年のニューヨーク市の日本語話者数の変遷
    ニューヨーク市の最近の英語以外の言語の変遷を調べる機会があり、その中に日本語のデータもあったので、それをまとめてみました。今回利用したのは、U.S. Census Bureauが毎年行っているAmerican Community Surveys (ACS)のデータです。ACSは、10年事に行われるcensus (国勢調査)とは別に、毎年、数%のサンプルとして抽出された人だけが返答する調査で、2005年より行われました。 Stevens (1999)で詳しく述べられていますが、アメリカの長期的な言語変遷を調べるのは容易ではありません。大きな理由としては、国勢調査で言語に関する質問が少ない、あるいはなかった期間が多く、また、言語の質問も何十年か毎に変更されていくので、継承語のように世代をまたぐ変遷を通時的に調べるのが難しいです。また、長い間、"race" (民族)に関する質問と"Mother Tongue"に関する質問は相関性があると考えられていたり (例えば、ドイツからの移民と回答したら、「ドイツ語」が母語であるのような感じ)、"Mother Tongue" (母語)という定義が曖昧な用語で言語に関する質問が聞かれていたり、回答の選択肢が5-6種類の言語に限られていて、他の言語は全て"other"に分類されたりと、かなりの予想と憶測を使わないと利用できないような言語データになっています。 1980年から、ようやく、言語に関する質問が標準化されてきて、以下のような3ステップの質問になりました。 ...
  • 継承日本語話者の日本語能力の優位性に関する研究

    継承日本語話者の日本語能力の優位性に関する研究
    Kondo-Brown, K. (2005). Differences in language skills: Heritage Language Learner Sub-groups ...