ニューヨークは、日本人には誰でも聞いたことのある馴染みの深い場所ですが、ニューヨークと日本の関係はおおよそ160年くらいしかありません。ニューヨークにおける日本語教育や日本人学校になると、その歴史はさらに浅くなり、記録上残っている最も古い日本語学校(日本語教室)は、1923年にできた「紐育日本人教會附屬土曜國語學校」です。その日本語教室も第二次世界大戦が始まる頃には閉校し、現在のような日本語学校や土曜日の補習校に繋がる1975年の日本人学校開設までは、ニューヨークにおいて継承語教育は学校という形式では教えられてきませんでした。ですので、ニューヨークの日本語学校の歴史は、戦前の20年と、戦後の50年の、おおよそ70年程度の歴史であるといえます。
ニューヨークへの日本人の移民は、1853年のペリーの浦和への来航後に、徳川幕府が1860年に派遣した万延元年遣米使節団(まんえんがんねんけんべいしせつだん)のニューヨークへの訪問から正式な交流が始まりました。そして、1876年にオセアニック号に乗ってニューヨークに移住した商業者一団を皮切りに、多くの商業者と医学者が滞在しました。1976年のオセアニック号の一団には、その後、ニューヨークで生糸、陶磁器、お茶などの輸出業で大きな財をなす、新井領一郎(Ryoichiro Arai), 森村豊 (Toyo Morimura)なども含まれていました。医学会では、今も活動を続けている日本クラブを設立した医学者の高峰譲吉 (Jokichi Takamine, arrived in 1885)や、高見豊彦 (Toyohiko Takami, arrived in 1891)、野口英世 (Hideyo Noguchi, arrived in 1900/1904)などが19世紀後半からニューヨークで活躍をしていました。
ニューヨーク以外でも日本からの移民はハワイやサンスランシスコ、シアトルなどで顕著になり、ハワイでは、1893年に最初の日本人学校が開講され、米国本土でも、1902年にシアトルで日本人学校が開講されました。カリフォルニア州やワシントン州などの西海岸に比べると、ニューヨークでの日系子女への日本語教育の組織化は全くすすまず、学校として日本語が教えられたのは、ニューヨークでの日本語学校の開始は、戦後の日系駐在者向けの日本人学校の開設が始まりと考えられています (https://www.gwjs.org/about/history/)。
西海岸では、日本人学校の開設は、1893年に最初の日本人学校がハワイ州で開校され、米国本土でも、1902年にシアトルで「シアトル国語学校」が開校され、その後、多くの学校が開設されています。ニューヨークでは、西海岸の日本語学校開設から30年近く後に、最初の日本語週末学校が設立されています。他にも、1929年には、「紐育日本人救濟會國語學校」と「修道會國語學校」が開校していますが、1935年の時点で、ニューヨークにある日系人向けの学校はこの3校だけで、規模も、一番大きい「修道會國語學校」でも70名の子女、「紐育日本人教會附屬土曜國語學校」と「紐育日本人救濟會國語學校」は、30-40名の子女しかいませんでした。組織としても仏教会や教会に属するプログラムのような感じで、学校というよりも、小さなプログラムであったことが伺えます。同時期には、カリフォルにはには125校近くの日本人学校があり、それぞれの学校の規模も100名以上のところが多いことを考えると、ニューヨークでの継承日本語教育の組織化はかなり遅れていたようです。
当時の北米の状況は、1900年くらいから始まった、特に日本からの労働移民に反対する反アジア運動や、1907年にアメリカ政府と日本政府との間で日本の移民を減らす目的で「日米紳士協約」が結ばれ、また、1921年には「パーカー外国語学校取締法」がカリフォルニア州で通過し、私立の外国語学校(主に週末の日本語学校)を厳しく規制する法律が制定されるなど、日本語やドイツ語の継承語教育に関しては決して良い時期ではないのですが、1920年後半にアメリカの最高裁判所がMeyer v. Nebraska (1924)やFarrington v. Tokushige (1927)など、移民の継承語教育を認める判決を出したことで、1930年から1940年にかけて一時的に継承語教育のブームがあったことが、ニューヨークでの継承日本語設立にもつながったのだと思われます。残念ながら、ニューヨークの三校を含め、1930年から多く増えた継承語学校は、第二次世界大戦が始まると、ほぼ全て閉校してしまい、今も残っている学校はほとんどありません。現在、開校している継承日本語学校は、そのほぼ全部が、戦後、特に1970年の日本の経済発展後に作られた学校です。
今回のニューヨークの1920年代の継承日本語学校の資料は、外務省が1935年に全世界で行った「日本語学校調査」に記載され、同資料は、以下のウェブサイトで公開されています。
外務省 (1935). 在外日本人学校教育関係雑件: 日本語学校調査. 外務省 (Ministry of Foreign Affairs of Japan). https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/listPhoto?LANG=eng&REFCODE=B04012254400&BID=F2006092117012157541&ID=&NO=1&TYPE=PDF&DL_TYPE=pdf
手書きの資料で、しかも昔の日本語で書かれていて非常に読みにくいので、ニューヨークの三校の情報は、以下のように書き起こしました。
學校名: 紐育日本人救濟會國語學校
- 所在地: 紐育市西百八丁目三百二十三番 (23 West 108th Street)
- 設立年月日: 千九百二九年 (1929)
- 児童生徒數: 小児十八名 (18)、大人十三名 (13)、合計三十一名 (31)
- 學級數: 六組 (6)
- 教員數: 五名 (5)
- 教員資格學歴: 青山学院卒業 彦根高校卒業、米大学卒業
- 學科目: 幼児科より六年位迄、第二世の特別科あり
- 使用教科書名: 文部省讀本
- 教員給: 一定の額なし、報酬として支払う
- 其他ノ經費: 救濟會の負擔
- 授業料: 一家族一弗、一家族`[判読困難]`
學校名: 修道會國語學校
- 所在地: 紐育市西百四十三丁目五三 (53 West 143rd Street)
- 設立年月日: 千九百二九年 (1929)
- 児童生徒數: 七十名 (70)
- 學級數: 六 (6)
- 教員數: 六名 (6)
- 教員資格學歴: 女學校以上大學迄
- 學科目: 國語
- 使用教科書名: 加州教育局編纂国語讀本
- 教員給: 車代若干
- 其他ノ經費: 學校設備費
- 計: 八百弗
- 授業料欄: 出来る生徒からは一人二弗五十仙、二人四弗、以下一人壱弗、多数の無月謝生徒あり
學校名: 紐育日本人教會附屬土曜國語學校
- 所在地: 紐育市東五十七丁目二三〇 (230 East 57th Street)
- 設立年月日: 千九百二十三年 (1923)
- 児童生徒數: 四十名 (40)
- 學級數: 六級 (6)
- 教員資格學歴: 米国大学卒業二人、日本専門学校卒業者四人、幼稚園保母一人
- 學科目: 讀方、書方、綴方、会話、日本歴史、日本地理、日本礼儀作法一般、音楽、唱歌
- 使用教科書名: 文部省小學校国語讀本
- 教員給: 会員特志者の奉仕にて手当としては電車賃に過ぎず
- 其他ノ經費: `[判読困難]`
- 計: 約二百弗 (有志の寄付の`[判読困難]`)
- 授業料: 無し

