日本語を継承語として学んだ著名人

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ニューヨークにある継承語学校で、児童たちのキャリアや生き方の模範となる人を紹介する企画をしてはどうかとの議論がありました。当初は、同校に通う子どもたちと同様、日本語を継承語として学んできた人物を講演者として招くのがいいと思ったのですが、現実にはそのような方を探し出すのは困難なので、代案として、日本の著名な人物の中から日本語を継承語体験がある人を探して、子どもたち自身がまとてみるということとなり、ニューヨーク近郊で継承日本語体験を持つ著名人の調査しました。

総合的には、単に継承日本語の体験は日本語の習得だけでは縛られないという結論に至りました。保護者の多くは継承語学校へ行くと、宇多田ヒカルのように日本語、英語の両言語に通じたバランスの取れたバイリンガルへと子どもが成長するというイメージを持つことが多いですが、実際には日本語か英語のいずれかが主要な言語として定着し、もう一方は使用可能であっても自信がないケースが多いです。さらに、キャリアの面においても、国際的経験が必ずしも国際関係の仕事へと直結するものではなく、音楽家、政治家、芸能人等、多岐にわたる分野で活躍しています。

保護者にとっては、継承日本語教育の目標は日本語能力の育成にあるという認識が強いですが、子供たちにとっては、必ずしも英語と日本語の両言語の習得が成功であるとは限らないという現実を踏まえる必要があります。以下の例で言うと、宇多田ヒカルが岸田総理や大坂なおみよりもキャリアで成功し、幸福であるとは断じられないのと同様に、日本語能力はあくまで継承語話者の経験の一側面に過ぎず、日本語以外の多様な体験が、それぞれのキャリア形成やアイデンティティの確立に寄与していると思います。

宇多田ヒカル

幼少期をニューヨークなど海外で過ごし、日本とニューヨークを行き来して英語と日本語の環境両方で育ったことが楽曲にも影響を与えたと言われています。大学までニューヨークのコロンビア大学で教育を受けて、かつ、日本での楽曲を提供しているという、言語的には日本語と英語を両方とも使いこなす理想的なバイリンガルですが、継承語話者全員が、宇多田ヒカルのように言語的にバランスが取れた人になるわけではないので、目標というよりも理想といった感じだと思います。

岸田文雄 前首相

岸田文雄 前首相は小学生の時に、クイーンズで現地校に通学していることが著書で紹介されています。アメリカの上下両院の議会でスピーチをした時にも、ニューヨークのクイーンズでの小学校の体験を紹介して拍手をされていました。岸田文雄前首相は、小学生2-3年の際に、クイーンズの現地校 (PS 13)に通い、学校では英語、家庭では日本語という継承語体験をしています。

岸田文雄前首相のニューヨークでの体験は、The New York Timesのこの記事 (https://www.nytimes.com/2021/09/29/world/asia/who-is-fumio-kishida.html)で詳しく紹介されています。今で言うmicro aggressionの体験や、アメリカの多様性について、以下のようなことが書かれていました。


彼のクラスメートには、白人、韓国人、インド人、ネイティブアメリカンなど様々な背景を持つ子供たちが含まれていたが、彼は時折、人種差別の痛みを感じることもあった。昨年出版された著書『岸田ビジョン分断から協調へ』の中で、岸田氏は、1965年に修学旅行で教師の指示で手を握るよう頼まれた際、白人のクラスメートがそれを拒否した出来事について語っている。それでも、彼はアメリカに心から憧れるようになった。さまざまな背景を持つ生徒たちが「国旗を尊敬し、朝に共に国歌を歌った」という事実に、彼は大いに感銘を受けた。「米国は戦争中、日本にとって敵であり、広島に原子爆弾を投下した国であった」と彼は書いている。「しかし、私は若かったため、私にとってアメリカとは、ただ寛大な心を持ち、多様性にあふれた国でしかなかった。」

上下両院の議会でスピーチがここでみられます。2年くらいと短い継承語体験ですが、臨界期以前に現地校で英語に触れていたせいか、発音が素晴らしいと感じます。

大坂なおみ

大坂なおみは3歳の時に家族とともに日本からアメリカのニューヨークに移住し、その後、フロリダで生活しました。これも詳しくは書かれていないのですが、おそらく家庭では、英語、日本語、もしかしたらハイチ・クレオール語などが使われていたのだと思います。一時、国際大会で大坂なおみが日本代表で出ている際に、日本人なのかどうか(日本国籍を有しているのかどうか)などの議論がありましたが、これは継承語話者の「私は誰?」という疑問が、国を選択しないと参加できない国際大会のシステムで表面化したなぁと思いました。多くの継承語話者が感じるように、「日本人」であると同時に、「アメリカ人」でもあるし、アメリカ人の中でも「ハイチ人」であるという複雑なアイデンティティーがあり、そういう継承語話者に一つだけ国籍を選べというのは難しい選択だと思います。

言語的には、この動画を見る限りでは、日本語での質問は理解できるけれども、ほぼ全て英語で返答し、時折、簡単な日本語の単語での返答をしています。

河北麻友子

時折流暢な英語で会話をする河北麻友子さんは、マンハッタンで生まれ、幼少期は現地校 (PS11?)に通っていたそうです。

水原希子

モデルの水原希子は、テキサス州ダラスで生まれ、2歳の時に日本に移住しました。いろいろなインターネットでの記載なので、不確定なのですが家庭では英語と韓国語が話されていたようで、言語的に多様な継承語話者なのだと思います。英語と韓国語でのインタビューがここにありました。

田中みな実

アナウンサーとして活躍している田中みな実さんは、ニューヨーク生まれでロンドンやサンフランシスコに移り住み、中学受験のために日本に帰国したそうです。あまりどのような言語環境にあるのかは記載がありませんが、継承日本語環境で小学生までを過ごしていたようです。

デーモン閣下

デーモン閣下は、世を偲ぶ仮の姿の幼少期の際には、ニューヨークに住んでいたことがある帰国子女だそうです。昔、朝の番組で「ポンキッキーズ」というのがあったのですが、そこで「デーモン閣下の英語教室」というのもやっていたそうです。

隠れ帰国子女(「逃げるは恥だが役に立つ」)

少し前に流行った「逃げるは恥だが役に立つ」の中に、隠れ帰国子女のエピソードがありました。柚さんという役柄なのですが、帰国子女という事実を隠して、普通に会社員として仕事をしています。会議資料などの作成が苦手で、上司からは「やる気のない若者」だと思われているのですが、実際には、南部なまりの英語と日本語での文章が書くのが苦手な継承日本語話者でした。

他の人からは、「帰国子女隠す必要あるの?」と理解されず、本人は「だって帰国子女でも 綺麗な文章書く人はたっくさんいるから」と自分の日本語能力に苦しむ隠れ帰国子女の現実が上手にあわれれていると感じました。

逃げるは恥だが役に立つ 帰国子女 T00008. 逃げるは恥だが役に立つ 帰国子女 T00095.
逃げるは恥だが役に立つ 帰国子女 T00122. 逃げるは恥だが役に立つ 帰国子女 T00125.
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