ニューヨーク日本人教育事情

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リビュー

岡田光世氏による、「ニューヨーク日本人教育事情」を読みました。主に、1990年までの日本の高度成長期の駐在家庭の子女へのニューヨークでの教育事情を述べたもので、本の構成は、1章: 現地校、2章: 補習校、3章: 日本人学校、4章: 塾となっています。本が出版された1993年と、バブル崩壊以降の現在とはかなり状況も異なりますが、永住組の増加や補習校を日本語能力が理由で辞めていく子供たちなど、1990年代以降に顕著になった問題についても書かれています。継承日本語に関しては、「2章: 補習校」とまとめの「終章: 今を生きる海外生活へ」が特に参考になります。もう出版されておらず、中古本を入手するしかないようですが、ニューヨークでの日本語教育に関しては非常に有益な本だと感じます。

以下に、第二章で面白いなと感じたことを箇条書きに書いています。

  • 教員の確保の問題は、1990年の時点ですでにあった。日本からの派遣の先生が少ないことや、現地での就労許可などの問題で、補習校で教鞭を取る多くの人が、平日は違うキャリアを持っている人が多い。また、一年間で三割程度の人が辞めていく。この傾向は、コロナ禍の後にさらに顕著になっているが、コロナ禍による結果という訳ではない。
  • どうして日本人学校及び補習授業校に授業料が発生するようになったのか、その経緯が書いてある。日本国憲法第二六条では、「①すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。②すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」とあるが、最初の日本人学校や補習授業校ができた(1960年代?)には、この条は、属地的に解釈されて、海外に一時滞在する子女には当てはまらないとされた。今も続く、継承日本語への国からの支援の有無に関しては、補習授業校が始まった時からすでにあった。詳しい内容は、JOESが1991年に発行した「海外子女教育史 (海外子女教育振興財団20年史)」に記載があるらしい。
  • 日本人学校が設立された頃に、現地の在留邦人によって、「ニューヨーク育英学園」「リセケネディー国際学校日本部門」「こどものくに」「慶應義塾ニューヨーク学院」なども開校した。この多くは今も存続している。
  • 補習授業校のカリキュラムは、日本のカリキュラムを土曜日一日だけで消化するので、「盛り合わせ寿司」とか「おせち料理」とか言われていたらしい。これも今もある問題で、言い得て妙だと思った。
  • 永住組の子女(特に国際結婚をした子女)は、日本語能力が十分でないため、補習授業校についていくのは当時から大変だった。また、「なんでお前たち(国際結婚の子女)が、アメリカ人なのに来るんだ?アメリカ人は補習校に来なくていい」などという子供もいたようで、一時滞在組と永住組の子女の差は、もしかしたら今よりも溝があったのかもしれない。
  • ニューヨークでの補習授業校は、1962年に、「日本クラブ」の中で開催された教室が起源。初等部30人、中等部6人で始まったクラスは、同年にクイーンズの校舎に移転し、その後、大きく増加する。現在では、ロングアイランド校(170名)、ウェストチェスター校 (403名)、ニュージャージ補習校 (271名)の800名以上の規模になっている。補習授業校の変遷の詳しい内容は、以下のページに詳しく記載がある。
  • 現地校ではgifted programに行っているが日本語能力が十分でない子供が、補習授業校の授業中突然立ち上がり、黒板に大きな文字で”I’m stupid”と書くなど、素行に問題があったりという記載があったのは特に印象に残った。また、自分が土曜日学校の教員だった2000年代にも同様な問題があったのを思い出した。継承日本語の子供の学校での素行は、子供自身の問題ではなく、学校のカリキュラムが合っていない結果だと実感した出来事で、これは今も自分の記憶に深く残っている。
  • ニューヨーク補習授業校クイーンズ校では、通常の補習授業校のカリキュラムでは日本語能力が十分でない子女のために「外国語としての日本語 (Japanese as a Second Language; JSL)」クラスが1988年に始まったが、わずか3年で廃止された。同様な試みは1977年にも合ったが、同じように数年で廃止された。廃止された理由は、人数が集まらず予算削減でプログラムの廃止になったとのことだが、その内容を詳しくみてみると、本来は子女の日本語能力にあったカリキュラムを提供するプログラムとされていたが、保護者、子供達、また教員から、JSLプログラムは日本語ができない子女のための落ちこぼれプログラムだという偏見があったからだとのこと。保護者は「勉強しないならJSLに入れてしまいますよ」と子女に言い、子供はJSLプログラムを「バカクラス」と表現していた。同様な偏見は、教員の間でも少なからずあったとのこと。JSLの開講と閉鎖の経緯は、本の中で詳しく書かれていて、日本の教科書を使わない、いわゆる継承日本語教育に興味がある人には興味がある内容だろう感じた。
  • 補習授業校での教育が、日本語習得のための場所だけと考えられており、補習授業校に行くことは、日本人としてのアイデンティティー形成の場所であるということが、あまり重要視されていないという指摘で章が締められていた。これは今も同じ問題があると感じる。
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