日本語について: 日本語教育文法の群雄割拠時代

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海外で日本語を教えて約15年になりますが、教え始めた当初から、教科書や参考書、教師ごとに日本語文法のまとめ方が異なっていると感じてきました。初めは自分の知識不足のせいで文法を体系的に整理できないのだと思っていましたが、最近では、日本語教育の文法は各教育者が独自に編み出した説明を各自で教えている、いわば群雄割拠の状況ではないかと考えています。

幼少期から日本語を学んだ学習者であれば、日本語教育文法は必ずしも必要ではありませんが、幼少期に継承語として日本語を学ばず、ある程度大きくなってから日本語学習を始める学習者にとっては、「日本語教育文法」が極めて重要になります。さまざまな日本語教育文法を検討し、何らかの体系化された解説を提示できればと考えています。

まずは、自分が日本語教育文法が群雄割拠の時代にあると考える根拠を整理してみます。

日本語教育文法と日本語の国文法/学校文法との乖離

比較的よく指摘されている点ですが、現行の「日本語教育文法」と「国文法/学校文法」の間にはかなりの差があります。「日本語教育文法」は外国語として日本語を学ぶ学習者向けの文法記述であり、「国文法/学校文法」は日本語を母語とする者が学校で学ぶ文法です。

例えば活用形について、国文法/学校文法では一般的に「未然、連用、終止、連体、仮定、命令」とされますが、日本語教育文法では「マス形、基本形、テ形、タ形、条件形」と表現されることが多いです(日本語教育文法にも多様なバリエーションがあります)。動詞の活用分類も、国文法/学校文法では「五段活用、上一段、下一段、カ行変格、サ行変格」と教えられますが、日本語教育文法では「I類、II類、III類」と教えられることが多いです(繰り返すが、日本語教育文法では「う動詞、る動詞、不規則動詞」といった別の紹介法もよく見られます)。

北米における日本語教育文法は特に、20世紀半ばにバーナード・ブロック (Bernard Bloch)とエレノア・ジョーデン (Eleanor Jorden)が米陸軍の教育機関向けに作成した教育課程の影響を受けています。Jordenの”Beginning Japanese”や”Japanese: The Spoken Language”は20世紀の米国で広く使用されましたが、彼らの提案した教育文法は口語重視であり、国文法/学校文法が重視する意味論的分類や古典日本語との関連は考慮されていません。したがって、古典との連携で重要な「上一段活用、下一段活用」は、語幹が母音で終わるという点(例:見る、食べる)から、日本語教育文法ではII類動詞(る動詞)と統一されています。

日本語教育文法と日本語の国文法/学校文法の違いについては、以下のような文献が詳しく解説しています。

  • Ikeda, N. (2017). Bernard Bloch の日本語教育への貢献. Ph.D. dissertation, 金城学院大学.
  • Iori, Isao, Takanashi, Shino, Nakanishi, Kimiko, & Yamada, Toshihiro (2000). 初級を教える人のための日本語文法ハンドブック. Tokyo, Japan: 3A Network.
  • Jorden, Eleanor Harz & Chaplin, Hamako Ito (1962). Beginning Japanese Part 1. New Haven, CT: Yale University Press.
  • Jorden, Eleanor Harz & Noda, Mari (1987). Japanese: The Spoken Language Part 1. New Haven, CT: Yale University Press.

言語教授法/言語学の流行りと文法の位置付け

日本語教育文法は20世紀半ば以降に国語文法から分かれ、独自の体系をとるようになりましたが、同時に言語教授法の流行が変化したことで、日本語教育における文法の位置付けも変わりました。

20世紀半ばまでは主にAudiolingual Approachなどの行動主義的教授法が用いられていましたが、1970年代ころから認知的アプローチが台頭し、Communicative ApproachやTask-based Approachといった実際の言語使用を重視する教授法が支持されるようになり、文法中心の教授法は批判されました。

1970年ころまでは日本語文法(国語文法・日本語教育文法ともに)は教授法上重要な要素と見なされてきましたが、Communicative Approachの普及に伴い、教授法そのものに重きが置かれるようになり、文法知識は重視されなくなりました。1970年以前に盛んであった文法中心の第二言語習得研究(例:日本語話者が冠詞を苦手とすることと日本語に冠詞がないことの関連の検討)は縮小し、教授法比較研究(例:冠詞指導に異なる教授法を適用して比較する研究)が増加しました。日本語教員のトレーニングに関しても、「日本語教育文法」は軽視される傾向が強くなり、教育論や社会論などがトレーニングの主流を占めるようになりました。

現在では、日本語文法は教える必要がないという意見が主流のため、体系的に日本語教育文法を整理しようとする研究者や教員は少なくなりました。国内では「日本語文法」の系統的研究が進んだ一方で、「日本語教育文法」はJordenが示した学習者向け文法からほとんど発展していない状況です。一般的には、日本語を教えるのであれば日本語の文法への理解は必要だろうと思われているのですが、おそらく日本語教員の中で「日本語教育文法」に精通した人というのは多くないと思います。海外で日本語を教える教師に日本語教育文法について尋ねても統一的な情報が得られない、あるいは教えているにもかかわらず系統的な日本語文法の理解を欠く教師が多数いるのはそのためです。

北米での日本語教育の教材(教科書)

成人後に日本語を学習する者が、日本語教育文法の未整理の影響を直接的に受けるのは教科書であると考えられます。上述の環境変化は教科書の刊行ごとに反映され、その結果、各教科書ごとに日本語文法の位置付けが大きく異なっています。教科書に関しては改めて別の投稿で述べる予定です。

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